1977-04-22 第80回国会 衆議院 外務委員会 第13号
われらは、平和を維持し、専制と隷從、壓迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めてみる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。」つまり国際社会において共同、連帯ですね、そういう努力がいままで払われてきたかどうか、私はここに疑問があると思うんです。この国際社会の共同の力でもって正義を貫く、そういう外交方針が本当になされてきたかどうか、この点はどうでしょう。
われらは、平和を維持し、専制と隷從、壓迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めてみる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。」つまり国際社会において共同、連帯ですね、そういう努力がいままで払われてきたかどうか、私はここに疑問があると思うんです。この国際社会の共同の力でもって正義を貫く、そういう外交方針が本当になされてきたかどうか、この点はどうでしょう。
われらは、平和を維持し、専制と隷從、壓迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めている國際社會において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」こういうふうに明確に規定されているのでありますが、これは私は、日本という国の国際社会に対する態度を明らかにいたしておると存じます。
あえて偏狹な国家主義を言うわけではございませんけれども、そう考えております。 〔委員長退席、黒澤委員長代理着席〕 また現在北米合衆国以外の各国で自動車工業をやつておるということは、いずれもそういつた方針からではないかと思います。わが国の自動車工業は、戰前自動車製造事業法ができましてからもう十年たつております。
(「その通り」と呼ぶ者あり)よしんば共産主義者の言行に偏狹過激なものがあろうとも、これが国会の議場においてなされる限り、断じて非は理に勝つものではない、正々堂々とこれを論破して国民の批判に訴うれば足るのであります。濠洲政府は先に共産党を非合法化して国会から閉め出そうといたしましたが、政治常識の高い英本国から遠く離れた僻遠の濠洲国民ですら、国民投票によつてこれを拒否いたしております。
これも誠に御尤もなことでございまして、私は、日本的とか国家の尊重とかいうことを申しますが、それは決して偏狹な意味の国家主義を唱えるのではなくして、日本的ということが本当の意味において世界的なんだ、よき日本人であることが本当によき世界人なんだ、そういう理想を以て教育を指導して行きたいという考えでございます。
次に、同じく前文の末尾にあるところの、「われらは、平和を維持し、專制と隷従、圧迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
即ち寛容の精神なくしては民主主義は偏狹な利己主義に堕落することは皆さん御存じの通りでございます。(拍手)第三は日本国民は本来平和を愛する国民であることをアメリカの人がはつきりと認識して来たことであります。(拍手)第四は国際政局における日本の地位の重要性が高まつて来たことであります。今回の米国視察において、我々は米国国民及び米国政府の心からなる歓待を受け、計画的、能率的な視察をすることができました。
二、公務員は、所掌事務の関係から、偏狹な見解に捕われてはならない。 三、国民の文化財は高く評価され、分に保護されなければならない。 四、国民の宗教信向心の発露は、十分に尊重されなければならない。 五、宗教法人の慈惠的行為は、宗教及び道徳の側面から観察されなければならない。 六、時局に便乘して経済的利権を狙う者は、嚴重に指彈されなければならない。
そのあれといたしまして、この法案そのものが官製であるとか、あるいはひどく偏狹なものであるというふうな考えが、巷間しばしば用いられておりますが、私などはその点比較的この立法に当られた方々の御精神に近いものを感じ得ると思つておりますので、ありていに申し上げまして、私はNHKに対するこの程度の保障は、現状の段階においてやむを得ないと思つております。
併し私が只今申上げました真の日本人というのは、科学を無視し、独善に落ちた偏狹な戰争前までの日本人を言うのではないことは勿論でございますが、昨年年頭におきまして、マッカーサー元帥は日本国民に対して、日本を象徴する国旗を再び無制限に掲揚することを許されましたが、そのときの言葉に、「国家主義なるものは成文律と不文律とを問わず、各国民相互の義務責任を確立する普遍的国際法に対して高い義務感を持つべきである」と
曾て偏狹なる國粹主義と忠君愛國を以て飯の種とする寄怪なる一群の人人と集團がありました。かかる一群の人と集團との無智と偏見とが無謀なる戰爭を挑発し、今日の祖國の悲運を招いた隠れたる元兇であることは、すでに國民周知の事実であります。そうして今でも國体護持、反共のスローガンをされ掲げれば飯を食うに事欠かぬ由であります。
対外関係に至つては、日本は一切の軍備を廃して、正義と友愛の観念に國運を任かし、偏狹な利己心よりも、廣汎な利害共通の了解に重きを置いて、世界の平和と文化に貢献せんことを希うものであります。わが國の独立と自由とを保障する百年の長計としては、この一筋道のほかはないと確信いたします。
事務次官がここに出なければ審議ができないという御議論は、私はいささか偏狹だとも思い、從來の慣例に反した御意見でありますから、その点ははつきり申し上げておきます。
從つて、占領下である日本の現実を冷静に批判し、偏狹なる独善的、利己的見解に支配せられることなく、占領政策の根底は再び日本が戰爭を誘発する原因を除去するにあることを、まずもつて念頭に置く必要があることは十分承知いたしておるところであります。 申すまでもなく、この経済力集中排除法の適用を受けるわが國経済の現状は、無條件にその適用を許すほどの、なまやさしいものではないのであります。
從いまして道路運送委員會はその意見を述べるにあたりまして、これらの點についてすべての關係人、參考人に對しましてできるだけ廣くその意見を徴しまして、いやしくも道路運送委員會が獨斷で、また偏狹な個人的な立場から意見を述べられて、報告されるというようなことのないことを期待いたしております。また道路運送委員會の委員は少いところでも、各府縣一人づつ出していただくといたしましても、三人以上はございます。
そういう人に對して七日ということを、この通信の不備な時期に持つて行くことは、私は非常に控告期間を拵えたという精神から見て、これを十日くらい延すことが、何がそれ程躊躇しなければならんのか、こういうところが極く偏狹な官僚政治の現われであるということを私は申上げておきたい。
日本が、無謀な戰爭により、いとも哀れな國情に陷つた直接の原因が、軍閥の政治壟断を許したことにあることは、言うまでもないところでありますが、その間接の原因の中で、見逃すことのできないのは、独善的偏狹思想を方針とした、文部省傳統の教育であります。この國民教育こそ、軍國主義の温床であつたのであります。